編集グループ〈SURE〉

編集グループSURE・編
北沢恒彦とは何者だったか?

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人びとの証言が織りなす、その生涯の記憶のタペストリー

語られる者の歴史と、語り手の人生の時間が交差する、新しい伝記への試み。
編集グループSURE創始者・北沢恒彦(1934−1999)、京都の町の一隅に生きた65年間

2011年6月中旬刊行

定価3,300円(本体3,000円+税)

四六版・上製 336ページ
北沢恒彦年譜/解説 黒川創


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刊行のごあいさつ

 編集グループSUREの創始者、北沢恒彦(1934ー1999)の生涯を、関係者たちの証言でたどる評伝『北沢恒彦とは何者だったか?』を刊行いたしました。

 北沢恒彦は、1934年、正規の婚姻関係にない両親のもと、京都で生まれました(当時の姓は「吉岡」)。幼時に実の両親から引き離されて、京都市左京区の米屋、北沢三郎・好納夫妻に預けられ、のち、その養子となります。高校生時代に、非合法化された共産党のもとで朝鮮戦争反対の運動に加わって、火炎瓶を投じるなどして逮捕。起訴を経て、およそ2ヵ月間を牢獄で過ごしました。

 同志社大学卒業後は、製パン会社を経て、京都市役所に勤務し、かたわら、京都ベ平連によるベトナム反戦運動、雑誌「思想の科学」の刊行などにも参加します。1967年、京都市役所内での勤務部局が、京都市中小企業指導所に移ると、ここでの中小企業診断士としての仕事に興味を深めるようになりました。これにより、京都の町をくまなく歩きつつ、商店主たちとの具体的なやりとりを通して、社会と人間のかかわりをさぐる作業を、1995年、満60歳での定年退職まで続けました。

 その後は、京都精華大学の非常勤講師として「風土論」を講じるほか、左京区の実家を根城に、ひとりきりで「編集グループSURE」主筆を名乗って個人ジャーナル〈SURE〉の発刊を続けました。1999年11月、65歳で自死しました。

 私ども編集グループSUREは、その後、同じ工房とグループ名を引き継いで、このちいさな出版運動を続けています。

 北沢恒彦の生涯のありかたを明らかにすることは、私どもにとっても、自分たちの原点を確かめる上での長い宿題と考え、この本の刊行の計画を温めてきました。このたび、北沢恒彦の幼時から付きあいのあった方がたをはじめ、多くの人たちから証言をいただくことができました。こうした直接の知人の生の声のみで構成する伝記は、一冊の評伝の表現方法としても、ひとつの挑戦となるかと存じます。

 みなさまのご一読をお願いし、ご案内を差し上げます。

2011年春
編集グループSURE(代表・北沢街子)

本書に登場する主な語り手たち

  • 鶴見俊輔(哲学者)
  • 横山貞子(英米文学者)
  • 秋野イサム(画家)
  • 塩沢由典(経済学者)
  • 津野海太郎(編集者・評論家)
  • 森嶋瑤子(エッセイスト、経済学者・故森嶋通夫氏の夫人)
  • 宇治田脩孟・惠子(京都・ひさご寿司主人夫妻)
  • 中尾ハジメ(環境社会学者)
  • 阿部哲三(フランス語教師)
  • 井上等・章子(京都・徳正寺)
  • 那須耕介(法哲学者)
  • 柴田宣史(京都精華大・元学生、時代工房主宰)
  • 小谷弘子(ご近所)
  • 北沢德子(妻)
  • 石川惣代治(いとこ)
  • 北沢義昭(いとこ)
  • 石川スミ子(いとこ)
  • 前田文子(いとこ)
  • 米田修造・幸子(叔父・叔母)

この本に関する記事

読売新聞・本よみうり堂 (2011年6月28日読売新聞)

毎日新聞・毎日の本棚 (2011年7月17日毎日新聞)

BOOK asahi.com(2011年8月19日週刊朝日)


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